旧ソ連軍 北方四島侵攻76年

生活関連

1951年9月8日  サンフランシスコ平和条約

1951年9月8日 千島列島、南樺太を放棄(サンフランシスコ平和条約)

西村熊雄外務省条約局長は、「サンフランシスコ平和条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含む。なお歯舞と色丹島が千島に含まれないことは、アメリカ外務当局も明言されました」と答弁。この答弁は政府がこの時点においては国後島、択捉島がサンフランシスコ平和条約で放棄された千島列島に含まれるものと認識していた。ソ連は同条約に署名せず。

⇒ 日ソ共同宣言 1956年(昭和31)10月19日に署名 ・・・ 宣言は「正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結交渉が継続される」こと、およびソ連が歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)を日本に「平和条約が締結された後、現実に引き渡す」ことを規定。
⇒ ヤルタ協定 ・・・ ソビエト連邦が、ドイツが降伏し、かつ、欧州における戦争が終了した後2ケ月又は3ケ月で、次のことを条件として、連合国に味方して日本国に対する戦争に参加すべきことを協定。

  • 1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシアの旧権利が回復されること。樺太の南部及びこれに隣接するすべての諸島がソヴィエト連邦に返還されること。
  • 千島列島がソビエト連邦に引き渡されること。

北方領土は日本固有の領土?

旧ソ連軍は、日ソ中立条約を無視して、1945年8月9日に対日参戦。日本が8月14日にポツダム宣言を受諾し降伏の意図を明確に表明した後も侵攻を続け、8月28日には択捉島に侵攻し、9月5日までに北方四島を占領しました。

当時、これらの島々には約1万7千人余りの日本人が暮らしていましたが、1949年までに日本人島民全員がソ連により強制的に退去させられました。それ以降北方領土には日本人は住んでいません。

戦前の北方領土の人口

島名 世帯数(世帯) 人口(人)
択捉島 739 3,608
国後島 1,327 7,364
色丹島 206 1,038
歯舞群島 852 5,281
3,124 17,291

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