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1945年、ソ連に対日参戦を促したのはアメリカ
終戦間際のアメリカは、日本の捨て身の抵抗で、多くの犠牲者を出していいたため、ソ連にも参戦を求めていました。ソ連は何らかの見返りが無い限り、侵攻には消極的でした。アメリカは、見返りを提示(ヤルタ会談)・・・終戦後、ソ連に千島列島、南樺太の領有権を認めました。しかし、ソ連のスターリンは満足せず、北海道の留萌から釧路を結ぶラインより北側も求めました。
オホーツク海をソ連の内海としたかった
ソ連は戦略上、千島列島を占領することで太平洋からの侵入路を閉ざし、出口として北海道が欲しかった。アメリカは、ソ連の戦略を阻止したかった。
ソ連の参戦の前に日本を降伏させるため 原爆投下
ソ連は、1945年8月24日、留萌上陸を予定していた。アメリカは、原爆を投下すれば、ソ連が参戦する前に日本を降伏させることができるかもしれない、と考えました。スターリンは、ヤルタ会談で約束された見返りを得るために、参戦を繰り上げ、日本が降伏する前の8月9日に、侵攻を開始し見返りはすべて手に入れました。
対ロ制裁を行うからには 報復への備えが必要
万が一、ロシア軍が北海道侵攻を企てたとすれば、専守防衛が国是である以上、海岸線では防御できない。
自衛隊は旭川-帯広ラインで押し戻すのが精いっぱい。
自衛隊は弾薬が絶対的に足りません。“専守防衛”の名の下、弾薬の備蓄も厳しく制限されているので、勝てる戦いも勝てないのです。とはいえ、それに異を唱えれば、現在でも反発する日本人が多い。
ロシア軍が入った場所ではウクライナと同様の虐殺が起きる
ロシア国防省は北方領土で1000人規模の軍事演習を始めた
「日本は、歴史的にロシア領であった北海道を不適切に保持している。ロシア人開拓者が交易のために開発、植民地化を行い、北海道を利用していた。そこにはアイヌ民族が住んでいた。サハリンやウラジオストク近郊、カムチャッカの南部に住んでいるのと同じ民族で、ロシアの民族のひとつだ。
日本とロシアとの国境を択捉島と得撫島の間に引くことを決め、北海道が日本領だとされた1855年の日露和親条約は「純粋な誤解」と主張しています。
過去の北海道占領計画 ソ連は北海道が欲しかった
スターリンは対日参戦直前に「サハリン(樺太)南部、クリル(千島)列島の解放だけでなく、北海道の北半分を占領せよ」と命じていた。1945年8月16日には、トルーマン米大統領(1884~1972)に書簡を送り、留萌―釧路以北の北海道を占領させろと要求した。
トルーマンはこの要求を拒否するが、その後も南樺太にいた第八十七歩兵軍団に北海道上陸のための船舶の用意を指示していた。