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フランク・ウェルズ
1984年、ウォルト・ディズニー・カンパニーに入社。東京ディズニーシーのディズニー側責任者として交渉に臨みました。1991年9月5日、オリエンタルランドの高橋政知会長との会談で日本側より、映画スタジオをテーマにした第二パーク計画の中止を正式に通知されたが、想像力をもって海のテーマーパークをプレゼンした。ウェルズのディズニーシーの7つの海と言う設定は本当に美しくて、単にディズニーシー内の概念に留まらず、現実でも「世界中の海」を表す表現として使用されてきた程、人類の歴史単位で見ても本当にピタッとハマる良い設定だった。
1983年、南極の最高峰(ビンソン・マシフ=4,897メートル)に、三浦雄一郎と共同して挑みました。頂上まで標高差であと600メートル。だが凍傷どころか凍死の可能性すらありました。「フランクが鼻を凍傷にやられた。これ以上無理だ」。
緩んだキャップから紅茶がザックの中に漏れ、羽毛のヤッケもびしょびしょにぬれていた。それをうかつにも手で水分を払った。下界では取るに足らぬことが、極地では命取りになる。紅茶を手袋にかぶった時、一瞬熱いと思ったが、すぐにどの指もこわばって感覚がなくなった。全部の指が冷凍魚のように芯までカチカチに凍結した。体感温度はマイナス60-70度以下。「八甲田山」の映画のシーンが浮かんだ。手指や足を失うか、立ったまま凍死するのか。背筋が凍った。
絶望の淵(ふち)で「そうだ、体温を上げよう」。とっさの考えだった。血行をよくし体温を上昇させれば末梢(まっしょう)が救われるかもしれない。高度4800メートルでグルグル回り、息が切れながらザックとスキーを背負って300メートル駆け下りた。次第に汗ばみ手首や掌が少しずつ解けていくのが分かった。
手の指の感覚が戻り、「やっぱり頂上まで行こう」といった。しかし、「三浦さん、あきらめましょう」。凍傷事件さえなかったらと悔いた。
それから1週間、荒れ狂わんばかりのブリザードに停滞を余儀なくされ、ついには食料も無くなりかけたが、じっと耐えて再度のアタックで全員が登頂に成功した。
フランクが別れ際、「ユウチャン、面白かったよ。また全員で会おう」。フランクは、94年、ヘリコプター事故で帰らぬ人となりました。
THE FANTASY BEGINS
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ドローンリハーサル
一夜限りのライブイベント
ファンタジースプリングスを舞台に
ドローン1000機による演出
ディズニーの仲間たちやキャストによるパフォーマンス
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フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」 午後 8 時 30 分頃、番組内にて放送
東京ディズニーリゾート特集を放送
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