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膨張してきた道都・札幌
札幌の人口は減少期に入りましたが、かつては増加の一途をたどっていました。
1940年(昭和15年)の国勢調査で人口20万人を超え、函館を抜き道内一になり、その後、自治体合併により市域が拡大し、1960年に初めて50万人を越えて約52万人になりました。
高度経済成長期に入ると、増加のペースが一気に上がり、1960年から1975年(昭和50年)までの15年間の伸びは全道が6%にとどまっているのに対して、札幌は2・4倍の124万人に達しました。現在の人口は約197万人です。
札幌駅周辺
1954年(昭和29年)ごろに撮影された国鉄時代の札幌駅周辺
駅舎は1952年に開業した4代目駅舎。地下1階、地上4階の鉄筋コンクリート建築でした。蒸気機関車から煙が上がっています。駅前通など市中心部でも、目を引く建物はほとんどありません。多くが低層の建築物です。左側には創成川が見えます。
1952年まで使われた札幌駅の3代目駅舎
3代目駅舎は木造2階建てのルネサンス洋式で1908年(明治41年)に建設されました。北海道開拓の村(札幌市厚別区)に再現した駅舎が展示されています。
1969年ごろ
札幌駅の南側にビルが並び始めているのが分かります。
2023年10月
札幌駅は1988年に高架化されました。2003年には駅南口に大型複合商業施設「JRタワー」が開業しました。中核施設の札幌ステラプレイスや大丸札幌店には多くの買い物客や観光客が訪れています。
札幌駅前通
1962年ごろ
ホームが並ぶ札幌駅から南に向かって伸びる駅前通にビルが建ち始めています。
2023年10月
大通公園
1957年
2023年10月
円山公園
1954年
2023年10月
厚別副都心
札幌の人口は1970年に100万人を突破しました。急激な人口増に対応するため、1972年、厚別副都心開発基本計画が策定され、その中心となったのが国鉄(当時)の千歳線複線化と新線切り替えにともない、1973年に開業した新札幌駅です。
1977年にはダイエー厚別店(現イオン新さっぽろ店)と約100の専門店、遊戯施設などからなる商業施設「サンピアザ」がオープンしました。
1982年には市営地下鉄東西線が延伸、新さっぽろ駅の開業に合わせ、プランタン新さっぽろ(現・カテプリ新さっぽろ)、サンピアザ水族館などもオープンしました。
2023年12月
JR新札幌駅に隣接して新さっぽろ駅ターミナルビルができ、新さっぽろアークシティホテルや専門店ビル「デュオ1」「デュオ2」が開業しました。駅の左横には高さがひときわ目立つ「ホテルエミシア札幌」が立っています。後方には市営住宅の建て替えや新築などで高層化された「新さっぽろ団地」、「青葉団地」、「ひばりが丘団地」などが見えます。
あいの里
明治期に付近一帯で染料の原材料だった藍の栽培が盛んだったことが、地名の由来になっている北区あいの里。畑と水田が広がる農業地帯でしたが1978年、市街化区域に編入され、住宅開発が始まりました。
1981年
盛り土作業が進み、宅地の様相を見せてきたあいの里周辺です。
1987年4月には、道教育大札幌分校が移転・開校
1986年11月、JR学園都市線に、あいの里教育大駅が開業。翌87年4月には、道教育大札幌分校が移転・開校しました。開校時の大学周辺には店もありません。「原野にこつぜんと現れた道教育大札幌分校」。
現在
2023年12月
桑園再開発
札幌駅は1958年に旅客専用駅となりました。それまでに大口貨物は隣の桑園駅で取り扱うようになりました。桑園駅はささやかな小駅でした。それが1955年前ころから突然ふくれ始めました。いつの間にか線路が増え倉庫がならんで荷降ろし設備ができて、大貨物駅になり、市内で消費する米、石炭、魚菜類、木材など生活必需品を一手に扱うサッポロの台所に変わっていきました。
1978年には桑園での貨物取り扱いは終わり、関連の施設も撤去され、大規模な未利用地が生まれました。高架工事が終わり、新駅舎が1988年には開業します。
1991年
1995年
中央の桑園駅に隣接して、完成間近のJR本社ビル、その右上に移転開院間近の市立札幌病院が見えます。
2023年12月
駅の右に屋上が桑園自動車学校の教習コースとなっているイオン札幌桑園ショッピングセンターが見えます。