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【 更新・新着記事 】

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2026/1/29

C/2026 A1 (MAPS) 太陽最接近4/4 地球最接近4/5

地球最接近4/5

2026/1/29

C/2025 R3 (PANSTARRS) 彗星 2026年4月26日 地球最接近-1.0等級

目次1 太陽接近までは、明け方の東天に見られます 4月前半が見頃2 最接近時は、SOHO画像で見られます3 太陽接近後は、南半球で、日没後の西天に見られます 5月前半が見頃 太陽接近までは、明け方の東天に見られます 4月前半が見頃 最接近時は、SOHO画像で見られます 彗星が、地球と太陽の間にきて、最接近します。     太陽接近後は、南半球で、日没後の西天に見られます 5月前半が見頃 シドニー付近での見え方。

2026/1/27

2026年1月20日 大寒

目次1 北海道 オホーツク海側に流氷接岸!!2 北極付近に1063hPaの高気圧3 1月24日~25日 札幌豪雪3.1 石狩湾小低気圧が発生し停滞4 大規模な寒波5 優勢な高気圧6 寒気の吹き出しによる 筋状の雲7 オホーツク海の流氷が接近 北海道 オホーツク海側に流氷接岸!!   北極付近に1063hPaの高気圧 1月24日~25日 札幌豪雪 午後8時までの札幌市中央区の24時間降雪量は54センチの「ドカ雪」となり、1月の最多を更新。同日の最深積雪は112センチで2022年3月以来、1メートル ...

2026/1/28

アルテミス計画 アルテミス2号がいよいよ有人月周回へ

目次1 アルテミス2号2 アルテミス3号3 月を周回した無人宇宙船が地球に帰還 2022年12月12日 02:454 地球への帰還は12月11日の予定 米東海岸のサンディエゴ近くの太平洋に着水5 月を周回中6 月宇宙船、最遠記録41万キロ先、無人飛行試験中7 宇宙船「オリオン」 日本時間の21日午後10時頃、月からおよそ130キロの地点に最接近8 ダミー人形の「Moonikin Campos」船長9 打ち上げ3日目 月へ飛行中10 打ち上げ9時間後  アルテミス I オリオン カプセルから見た地球の様子1 ...

2026/1/27

2026年の月面X 2月24日

目次1 2026年の月面X2 2026年1月26日 19:00頃 (月面Xから4時間後)3 2026年1月25日 19:00頃 スイスで撮影された X4 2025年12月27日 アメリカで見られたX5 11月27日 20:256 9月29日(月) 18:20~7 8月1日(金) 20:20~8 2025年6月3日(火) 22:50~9 2025年4月5日 22:20~10 2025年3月7日 アメリカで見られたX11 2025年2月5日 19:00    条件良    SONY  RX10Ⅳで撮影12 2 ...

2026/1/26

上野動物園のパンダ レイレイ 大ピンチ!!

目次1 2022年5月3日 憲法記念日1.1 天候は最高  快晴 &    湿度35%2 好天の日に屋外と屋内のどちらで過ごすかはパンダの意志次第2.1 今日の シャンシャン 平成29年(2017年)6月12日に誕生 もうすぐ5歳2.1.1 返還期限2.2 リーリー  飼育員さん、飼育室を汚してしまいました ごめんなさい2.3 シンシン  私は竹を選んで食べるの2.4 レイレイ  あ~怖かった 今日は私が主役!2.5 シャオシャオ  すやすや お眠 2022年5月3日 憲法記念日 天候は最高  快 ...

2026/1/25

上野動物園のパンダ 2026年1月27日に中国に返還

目次1 返還までの観覧方法1.1 1. 観覧日:2025年12月16日(火)~12月21日(日)1.2 2. 観覧日:2025年12月23日(火)~12月26日(金)1.3 3. 観覧日:2025年12月27日(土)~2026年1月12日(月)1.4 4. 観覧日:2026年1月14日(水)~1月25日(日)※1月25日は最終観覧日1.4.1 抽選日程1.4.2 抽選申込枠と当選人数1.4.3 当日のご案内2 2025年11月15日2.1 シャオシャオ2.2 レイレイ3 日中首脳会談経ても変化なし いよい ...

2026/1/25

北海道大開学150周年

北海道大学は2026年、前身の札幌農学校の開学から150周年 ウィリアム・スミス・クラークが初代教頭を務め、東京ドーム約40個分の学びやで、これまで約25万人が巣立っていきました。9月には、クラークが来道前に学長を務めていた米国マサチューセッツ農科大の関係者らを招いた記念式典が札幌市内で開かれます。 札幌農学校は北海道開拓の担い手育成を目的に、現在の札幌市時計台近くに校舎が造られました。農学や工学など授業は全て英語という、斬新な教育スタイルでした。 明治以前の勉学は座学が基本でしたが、クラークは実践の場を ...

2026/1/24

Seestar S50 ☆彡 東京23区内で撮影した天体 ☆彡 ビクセン「Seestar S50」販売終了

目次1 2026年1月24日未明 東京23区内で撮影2 1月21日 ビクセン「Seestar S50」販売終了3 2026年1月13日 東京23区内で撮影4 2026年1月9日 ボートルスケール"5"の空(安曇野市)で撮影5 2025年11月3日 夕暮れ後 17:50~18:105.1 C/2025 A6  レモン彗星  Seestar S50 での撮影6 11月3日 未明 テスト撮影6.1 M426.2 M416.3 バラ星雲6.4 馬頭星雲6.5 M466.6 M47 2026年1月24日未明 東京2 ...

2026/1/28

2026年1月19日~20日~21日夜 低緯度オーロラ出現 Xクラスと呼ばれる、最も規模の大きいフレアが観測

目次1 星空とオーロラ2 大規模「太陽フレア」 星空とオーロラ 大規模「太陽フレア」 https://hrykosd.com/wp-content/uploads/2026/01/20260121_061233.mp4

2026/1/20

『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』「第一章 猗窩座再来」 入場者特典 第13弾!! 興収390.8億円

目次1 2025年12月21日 『鬼滅の刃』興収ペース落ちる !!     前作を下回る2 アニメ映画賞にノミネート 第83回ゴールデン・グローブ賞 →受賞ならず2.0.1 「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」の世界興行収入  日本映画として初めて1000億円を突破2.0.2 日本映画世界歴代興行収入2.0.3 入場者特典2.1 1月24日~2.2 1月10日~2.3 12月20日~2.4 11月29日~2.5 11月15日~2.6 11月1日~2.7 10月18日~2.8 10月4日~2. ...

2026/1/20

東京の冬の寒さ 今昔

目次1 2024-2025冬 ⇒ 1月5日の -0.2度のみ2 冬日ゼロか ⇒ 2024年1月25日 やっと、-1.1度3 昔の東京は現在とは比較にならない寒さ4 昔は東京でも真冬日(最高気温が氷点下)が現れた4.1 1967年2月10日~12日    東京で58時間氷点下4.1.1 東京での積雪記録 2024-2025冬 ⇒ 1月5日の -0.2度のみ 冬日ゼロか ⇒ 2024年1月25日 やっと、-1.1度 2003-2004年、2006-2007年、2008年-2009年の冬(主に12月-3月)は、 ...

2026/1/20

日本の寒極 幌加内町母子里 1978年2月17日 -41.2度

目次1 日本の寒極はどこか1.1 公式記録では1.2 気象庁からの委託測定の記録では2 近年の母子里3 母子里に一番近いアメダス地点は朱鞠内3.1 真冬日の連続記録(真冬日とは1日の最高気温が0度未満の日) 日本の寒極はどこか 公式記録では 日本の最低気温といえば、1902年1月25日に旭川で記録した-41.0度となっていますが、これは気象庁が測定した公式記録です。明治期の旭川では、朝スズメが凍って落ちていることもあったそうです。だだ、旭川も都市化の影響で、1954年1月24日に-30.0度を観測して以降 ...

2026/1/19

ミラノコルティナ五輪 2026年2月6日開会式

目次1 会場2 日程3 新競技 スキーマウンテニアリング SKI MOUNTAINEERING3.1 スキーマウンテニアリングの種目4 NHK放送予定 会場 日程 新競技 スキーマウンテニアリング SKI MOUNTAINEERING スキーマウンテニアリング(Ski Mountaineering)は略してSKIMO(スキーモ)とも呼ばれ、上り坂や下り坂を滑ることに加えて、登山技術を駆使して雪山を駆け抜ける競技です。新たにミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックで追加されます。 スキーマウンテニアリング ...

2026/1/18

C/2024 E1 (Wierzchos) 2026/2/17 地球最接近

目次1 近日点通過 2026年1月20日2 近日点接近後 西空2.1 北半球 2026年2月中旬以降2.2 南半球 2026年1月以降 近日点通過 2026年1月20日 近日点接近後 西空 北半球 2026年2月中旬以降 南半球 2026年1月以降

日本分割を阻止した、W・アヴェレル・ハリマン

生活関連

1945年8月15日の終戦前後、日本分割統治を阻止した、W・アヴェレル・ハリマン

日本国民はだれひとり国家分割の危機など知らなかった

ソビエトは、昭和二十年二月のヤルタ会談において、ドイツの降伏後三カ月たったら対日参戦して、一気に満洲に攻め入るということを、ルーズベルト、チャーチルと諮って態度を明確にしています。

ドイツは昭和二十年五月七日、降伏文書に調印しました。それから三カ月後の八月七日以後には、ソビエトが日本に参戦してくることになりました。

ソビエト参戦の暁には、樺太はもちろん返してもらい、それから千島列島もソビエトのものにする。この千島の条項は、千島は必ずしもソビエト領ではないから、日本から勝手にもぎ取るというような表現で、アメリカも承諾しています。

ソビエトはヨーロッパで、ドイツ降伏後、ドイツの半分、ベルリンの半分をもぎ取りましたが、その方式をそのまま日本に持ち込み、日本本土にソビエト軍を送り込みたいと強く思うようになりました。

アメリカも、アメリカ軍の損傷をできるだけ減らしたいということで、はじめはソビエトの参戦を猛烈な勢いで督促していました。

日本分割統治案

第一局面として、日本降伏後三ケ月間は、アメリカの軍隊八十五万が軍政を敷いて、日本軍の降伏が完全になるまで、日本本土を掌握する。

第二局面、三カ月経過後の九ケ月間は、アメリカ、イギリス、中国、ソビエトの四ケ国で日本本土に進駐し統治する。

第三局面、占領が終了して日本が平和条約を結んで国交を回復するまでの間は、日本本土を四つに分けて、関東地方と中部地方および近畿地方をアメリカ軍、中国地方と九州地方をイギリス軍、四国地方と近畿地方を中国軍、北海道と東北地方はソビエト軍が統治する。さらに、東京は四カ国が四分割して統治する。

この分割案は、昭和二十年八月十六日に完成しています。

ルーズベルト大統領が長生きしていたら分割統治は実行されていた?

ルーズベルト大統領の無条件降伏政策を、トルーマン大統領は必ずしも継承しようとはしませんでした。それに、天皇制の問題まで連合軍が勝手にするような強硬政策では、日本人は講和など結ばない、結べない、できるだけ緩和した条件で日本の降伏を誘うべきであると、グルー元駐日大使をはじめとする知日派の人びとがしきりにアメリカ政府に働きかけていました。

 

幸いなことにグルー元大使が昭和十九年末に国務次官になり、国務長官に働きかけることで、アメリカの政策が緩和の方向に向かっていく、と同時に、ヨーロッパでの東西の対立が顕著になり、米英はソビエトに対して猛烈な警戒心を抱きはじめました。

そうして、日本の占領政策としては、天皇陛下および日本の政府の機構をそのまま使ったほうがうまくいくのではないかという考え方が、アメリカ政府のなかに芽生えてきました。それが、日本降伏後のアメリカ政府の政策決定に大きな影響を与えました。

焦るソビエト

ソビエトは、八月九日、約束どおり満洲に侵入して対日参戦をしてきました。ソビエト軍は満洲を占領するのがやっとであり、いわんや北海道まで軍隊を持ってくることは時間的に不可能であるということから、アメリカとの外交折衝によって何とか日本本土に軍隊を送り込もうと、さまざまな手を使いました。

八月十日、日本時間の八月十一日の午前二時、モスクワで、ハリマンという当時のアメリカ駐ソ大使と、ソビエトのモロトフ外務大臣とが猛烈な激論をしました。

『モロトフは、「日本占領にアメリカの軍司令官とソビエトの軍司令官の二人を置こう。アメリカ軍の軍司令官にマッカーサーを選ぶならば、わが軍は極東軍最高司令官ワシレフスキー元帥を選ぶ。マッカーサーとワシレフスキーの二人で、日本を二つに分割して統治しようではないか」と、強硬にハリマン大使に言いました。

ハリマン大使は、満洲でのソ連軍の国際法無視の理不尽な攻撃に不信感を抱いていました。

「とんでもない話だ。わがアメリカ軍は日本を相手に四年間も戦っている。しかるに貴国はわずか二日ではないか。二日しか戦っていないソビエト軍になぜ日本の統治権の半分を渡さなければいけないのか。全く理屈に合わぬ」

と言って、これを断固としてはねつけました。

これに対しモロトフは、「それはお前の勝手な意見ではないか。ワシントンに問い合わせて聞け。トルーマンはそのように言わないはずである」と言うが、ハリマンは、「トルーマン大統領に聞かなくてもわかっている。私はトルーマン大統領からすべてのことを聞いてきている。全権は私にある」

と言って突っぱねて、モロトフの攻勢を抑えました。

ハリマンは、トルーマンに知らせることもなく、自分ひとりの判断でソビエトの要求を退けました。

後に、トルーマンはそのことを聞いて、まさにハリマンは自分の思ったとおりのことをやってくれたと激賞するが、とにかくハリマンの頑張りによって、ソビエトは一旦は鉾を収めざるをえませんでした。』

「北海道の分割」を提案

ソビエトは、日本が降伏した翌日の八月十六日、スターリンはトルーマンに対して、「日本本土を半分にわけて軍司令官二人による統治はソビエトとしてもあまりにも過大の希望であると思うので、これは引っ込めるが、北海道を留萌と釧路を結ぶ線で二つに分けて、その北半分をソビエト軍が統治したい

留萌と釧路の町は当然ソビエト軍のなかに入るものとする。もしこの希望が叶えられないならば、ソビエト国民の世論が承知しないだろう。テヘラン会談以来の米ソ関係がこれによって悪化することもあり得るかもしれない。それはアメリカ政府としては十分に考えていただきたい」という強硬な書簡を寄越して、北海道の北半分の領有を求めてきました。それに対して、トルーマンは、「もはや日本占領軍最高司令官はマッカーサーただ一人に決めてある。北海道も日本本土のうちであるから、マッカーサーの統治下にある。ソビエト軍は一人たりともその統治に加わることを得ず」という強い返事を送りました。

スターリンはかんかんに怒って、「私と私の同志は、かかる返事を受けようとは予期しなかった、これが戦後肩を組んで世界政策を推進していこうという友邦のやることであるか」と、恨み骨髄のようなことを言うという一幕がありました。日本分割のソビエトの夢はこうして潰えました。

その代りに満洲にある日本軍兵士たちをシベリアに送るという悪魔的な政策をとりました。

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