かき氷の日の由来
「かき氷」は別名「夏氷」ともいわれ、「な(7)つ(2)ご(5)おり」の語呂合わせと、1933年(
かき氷の歴史
かき氷は一体いつ頃から食べられていたのでしょうか。平安時代の女流歌人・清少納言の随筆「枕草子」には、「削り氷にあまずら入れて、あたらしきかなまりに入れたる」という文章が書かれています。これは、「削った氷にあまずら(はちみつに似た甘味料)をかけて、真新しい金属製のお椀に入れる」という意味です。このことから、平安時代にはかき氷が食べられていたことが分かります。
冷凍庫もないこの時代は、夏の氷は非常に貴重なものでした。冬の間に天然の氷を切り出して、山の麓の穴倉や洞窟の奥に作った「氷室(ひむろ)」という貯蔵施設に保存し、夏に氷を切り出して都に運ばせ、宮中で暑気払いを行っていたと言われています。運ぶ間にも氷は溶け、御所に着く頃には、氷は小さくなっていたと思われます。その氷を小刀で削って食べることができたのは、一部の貴族階級の人達だけだったのです。なお、奈良時代にはすでに氷室があり、天皇への献上品として氷を利用する制度がありました。江戸時代には、加賀藩が冬期に切り出しておいた雪氷を、毎年6月1日に将軍に献上していたことが記録に残っています。幕末になると、氷の輸送もはじまり庶民にも身近な存在になってきます。日本で初めての氷屋が開業したのもこの時期です。その後かき氷は日本中に広まり、夏の風物詩として定着しました。
戦後まもなく考案された 白熊
鹿児島市には「天文館むじゃき」という店があります。この「天文館むじゃき」のかき氷は白熊と呼ばれ、鹿児島県のご当地グルメともなっています。戦後間もない頃、昭和22年に創業者が考案したのがこの白熊です。
こんもりと盛られた氷の上に、オリジナルのミルクや蜜、たっぷりのフルーツがトッピングされた白熊は、ここでしか味わうことのできないプレミアムかき氷です。古くから鹿児島県で愛され続けている歴史のあるかき氷なのです。
進化型かき氷
時代とともにかき氷も進化し、現在ではもはやスイーツと言っていいほどのかき氷も登場しています。定番のイチゴやメロンだけではなく、ブルーベリーヨーグルトやパンプキンキャラメル、ティラミスなど、さまざまなフレーバーのかき氷が存在します。マンゴーアイスブロックを削って作るマンゴーかき氷は、マンゴーの旨みをダイレクトに楽しむことができる台湾発のかき氷です。
マンゴーシャーベットとマンゴーの果肉、マンゴーソースを絡めて、思う存分マンゴーを堪能することができる人気のかき氷です。最近は、このような高級かき氷がトレンドとなっています。かき氷人気は年々加速中で、この夏どんな新かき氷が登場するでしょうか。