新型コロナウィルスは、ついに、お笑い界の大御所"志村けん"さんの命まで奪いました。ドリフの宝、日本の宝を奪った、新型コロナウィルスには憎しみがこみ上げてきます。
・1973年12月に「メンバー見習い」の扱いで、「志村けん」に改名した上でドリフに加入。
・1974年3月31日に荒井注が脱退し、4月1日に正式にドリフのメンバーとなる。志村は24歳。
・ドリフの正メンバーになって2年間ほどは、ギャグがあまりウケず、志村にとってスランプの時代。
・『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱隊」のコーナーで「東村山音頭」を歌ったことで、これにより一躍人気者となる。東村山市出身のコメディアンである志村けんさんは「東村山音頭」等を通じて、当市の名を全国に広めた功績に対し、市が感謝状を贈呈したことをきっかけに、1976年東村山駅東口のロータリーに、市の木である「けやき」が3本植樹された。このけやきは「志村けんの木」と呼ばれています。
・1979年には加藤茶との「ヒゲダンス」、1980年には「♪カラスの勝手でしょ〜(童謡『七つの子』の替え唄)」が人気を博した。
・1985年に『全員集合』が終了。
・1986年に『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』がスタート。その後、自身をメイン出演者とした初の冠番組『志村けんの失礼しまぁーす!』、『志村けんのだいじょうぶだぁ』、現在も続く『志村けんのバカ殿様』などで、ドリフメンバー以外(桑野信義・石野陽子・ダチョウ倶楽部)との活動が多くなる。この頃から「変なおじさん」に代表される、ドリフとは一線を画した独自のコントスタイルを確立していく。
・1999年には映画『鉄道員(ぽっぽや)』に俳優として出演。
・2004年4月15日、自身がMCを務める『天才!志村どうぶつ園』が放送開始。元来の動物好き、シャイで涙もろい志村の人柄をそのまま活かし、人気番組となる。
ご冥福をお祈りいたします。 https://ameblo.jp/shimura--ken/